【最終回】 BIは夢か?それとも…?私たちが考えるべき「未来の社会保障」
はじめに
さて、4回にわたってお送りしてきた「なるほど!ベーシックインカム(BI)講座」(謎)も、いよいよ最終回です。
BIのキラキラした夢(第1回)、世界の実験のほろ苦い現実(第2回)、そして日本で導入する際の巨大な壁(第3回)を見てきました。ここまでくると、こう思いませんか?
「結局、ベーシックインカムって無理ゲーなんじゃないの?」と。
今回は、その問いに答えを出しつつ、BIをめぐる議論のさらに奥深くにある「哲学的な対立」に触れ、私たちが本当に目指すべき社会の姿を一緒に考えていきたいと思います。
根っこにある2つの対立:「それって資本主義の延命?」「働かないのはズルい!」
BIの賛成・反対の議論の根っこには、実は経済的な損得勘定だけじゃない、もっと深い思想の対立があります。
① 「それって資本主義の"ガス抜き"じゃない?」という批判 哲学者の斎藤幸平さんなどは、「BIは、資本主義が生み出す格差や貧困という問題の根本解決になっていない」と鋭く指摘します。
どういうことかというと、AIや自動化で仕事を失った人たちの不満が爆発しないように、国がお金を配って「まぁまぁ、これで我慢してよ」とガス抜きをしているだけじゃないか、という見方です。BIによって、大企業やお金持ちが儲け続けるという社会の仕組み自体は何も変わらない。むしろ、その仕組みを安定させるための「アメ」に過ぎない、というわけです。これは、BIがもたらす未来に対する、とても重い問いかけです。
② 「働かざる者、食うべからず」は正しい?という問い
BIの「無条件」というルールは、「汗水たらして働くことこそが尊い」という、私たちの心の奥にある労働倫理を揺さぶります。
「私が一生懸命働いて納めた税金が、南の島でサーフィンして暮らしている人の生活費になるなんて、不公平だ!」
この感情、すごくよく分かりますよね。労働は、お金を稼ぐ手段だけじゃなく、社会の一員であることの証であり、自分の尊厳を支えるものでもあります。所得と労働を完全に切り離してしまうBIは、そんな社会の連帯感や、助け合いの精神を壊してしまうのではないか?という、倫理的な懸念も根強くあるのです。
「全か無か」じゃない。BIから学ぶ「現実的な一歩」
ここまで見てくると、日本で本格的なBIをすぐに導入するのは、正直かなり難しそうです。
でも、だからといって「BIの話はこれでおしまい」とするのは、もったいない!BIの「良いとこ取り」をした、もっと現実的な政策もたくさん議論されています。
負の所得税 :低所得の人だけに限定して、足りない分を国が補う制度。全員に配るより、ずっと少ないコストで貧困層を狙い撃ちできます。
子どものためのBI(給付付き児童手当): 「子どもの貧困」という緊急の課題に対して、すべての子どもに無条件で十分な金額を給付する案。ご存知の通り、既に児童手当という制度は有りますが、月に1万円程度、高校卒業までで総額210~240万円程度。もしも高校卒業時までにかかるお金をおおよそカバーする程度のBIがあれば、少子化対策にもなり、政治的にも賛成を得やすいかもしれません。
給付付き税額控除 :一生懸命働いているのに収入が低い人たちを、税金の仕組みを使って応援する制度。働く意欲を応援しつつ、生活を支えることができます。
これらの政策は、BIのように社会をガラッと変えるものではないかもしれません。でも、BIが目指した「すべての人に、最低限の安心と尊厳を」という方向に向かうための、着実で現実的な一歩と言えるのではないでしょうか。
BIの真の価値とは?
おそらくベーシックインカムは、現代社会のあらゆる問題を一発で解決する「魔法の杖」ではありませんでした。その実現には、あまりにも高いハードルがいくつも存在します。
しかし、BIは決して「単なる夢物語」でもないと思います。
個人的に思うBIの真の価値とは、それ自体の実現可能性そのものよりも、私たちの社会が抱える問題を浮き彫りにし、「これからの社会、どうあるべき?」という根源的な問いを、私たち全員が考えるきっかけになる「思考ツール」としての力にあるのではないでしょうか。
仕事って、何のためにするんだろう?
本当の豊かさって、なんだろう?
これからの時代の「助け合い」の形って、どうあるべきだろう?
BIをめぐる旅は、私たちをユートピアに直接連れてってはくれません。でも、私たちがどこに向かうべきかを照らし出す「灯台」のような役割を果たしてくれます。
このシリーズを読んでくださったあなたが、未来の社会のあり方を考える、何かのキッカケを得られたとしたら、それ以上に嬉しいことはありません。 最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
🧠 もっと知りたい人のための心理学・精神医学コラム【最終回】
テーマ:『共同体感覚』と労働の価値
「働かないのはズルい」という倫理的な問いの背景には、心理学者アルフレッド・アドラーが提唱した『共同体感覚(Community Feeling)』という概念が深く関わっています。
共同体感覚とは、「自分は社会(共同体)の一部であり、そこに貢献できている」と感じられる感覚のことです。アドラー心理学では、これが人の幸福の根源にあると考えます。そして、多くの人にとって、「労働」は、この共同体感覚を得るための最もわかりやすい手段の一つです。
仕事を通じて「誰かの役に立っている」「社会を支えている」と感じることで、私たちは自己肯定感を育み、社会的な孤立を防いでいます。精神医学的にも、失業がうつ病の引き金になることが多いのは、経済的な問題だけでなく、この「共同体からの疎外感」や「自己有用感の喪失」が大きく影響しているためです。
ベーシックインカムが突きつけるのは、「もし、労働を通さなくても生活が保障されるとしたら、私たちは何によって『共同体感覚』を得るのか?」という問いです。
もしかしたら、未来の社会では、収益を生まない活動、例えばボランティア、介護、育児、芸術活動、地域コミュニティへの貢献といったものが、労働と同じくらい「社会への貢献」として価値を認められ、共同体感覚の源泉になっていくのかもしれません。
BIは、私たちに「労働」というものの価値を再定義し、より多様な形で誰もが社会に貢献できる、新しい幸福の形を模索するきっかけを与えてくれる、哲学的な問いでもあるのです。
「本記事は、公開されている情報や報告書を参考にしつつも、筆者の個人的な見解や解釈を交えて構成しています。査読を受けた学術論文ではありませんので、学術的なエビデンスとしての利用はお控えいただけますようお願いいたします。」
【監修:Nカウンセリングオフィス】
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